戦後復興の資金集めとして誕生したのが公営ギャンブルの競輪です。

今では当たり前のように開催されている競輪は、1948年から始まりました。
戦後の復興を目的に開催されるようになった競輪は70年を超え、日本発のスポーツとして世界に拡散されています。
オリンピック競技にも正式採用され、幅広い年齢層に支持されるようになりました。

 

公営ギャンブルの枠を超えた可能性を見せる競輪は、今後も大きな飛躍をすると期待されているのです。
ここでは、そんな競輪が誕生したきっかけ理由について詳しく紐解いて行きたいと思います。

 

競輪の誕生した理由

 

冒頭でも触れたように、競輪が始まったきっかけは戦後復興の資金集めでした。

 

戦後の資金集めイメージ

 

何故競輪が公営ギャンブルに選ばれたかというと、そもそも戦前から各地で自転車レースが行われており、スポーツとしての人気が高かったのです。
そうした世情を利用する形で競輪は誕生しました。
自転車産業とサイクルスポーツの振興を目的に、ギャンブル要素を加えて収益化を進めたのです。

 

そして、紆余曲折がありながらも自転車競走法が国会で可決され、晴れて公営ギャンブルに認定されました。

 

競輪の前身的な会社

競輪が始まる前、実は一つの企業がレースの主催を計画していたのです。
倉茂元陸軍大尉と海老澤元満州国官吏の2名が中心となり、国際スポーツ株式会社を設立しました。

 

当初は国際スポーツ株式会社が先導して収益化を行おうと考えたのですが、会場や運営などの規模が想定以上に大きかったのです。
企業が運営するには莫大な費用が必要だと分かり、国へ公営ギャンブル化の相談を行いました
これが後に自転車競走法を作るきっかけになり競輪の誕生に繋がります。

 

当時の内閣総理大臣の片山哲が興味を持ったのも成功の大きな要因で、法案作りが非常に素早く進んだのです。

 

小倉競輪場の誕生

 

日本で初めて作られたのが小倉競輪場です。
自転車競走法が設立された後、各自治体は競輪場の設立に及び腰でした。

 

自治体の懸念材料は、莫大な費用が掛かるのにも関わらず、競輪がビジネスとして成功するか未知数だったからです。
採算が取れるのか分からないという理由で、競輪場の設立には否定的な意見も多かったのです。

 

そんな中、設立に名乗りを上げたのが福岡県の小倉市です。
プロ野球を地元で開催することを条件に競輪場を建設し、総合的に黒字へ持って行くことにしました。
理由はどうあれ競輪場が設立されたことで、日本初の競輪レースが開催されたのです。

 

世間の人たちからの良い反応

 

結果は予想以上の大反響で大きな収益を出したため、各自治体も競輪場の設立に前向きになりました。
競輪の盛り上がりは小倉競輪場から始まったと言って良いでしょう。
単勝式と複勝式しかないシンプルなレースですが、それでも戦後の暗いムードを吹き飛ばすには十分な魅力を秘めていたのです。

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