日本ではじめて1億円プレイヤーになったのは元競輪選手の中野浩一氏です。

国内初の一億円プレイヤーとは

 

日本のプロスポーツ史上、賞金額が初めて1億円を超えたのは競輪なのです。
野球やサッカーなどのスポーツよりも早く、競輪は1億円の壁を突破して歴史に名を残しました。

 

賞金額の高さは競輪選手の強さだけでなく、その業界自体が盛り上がっていることの証明でもあります。
つまり、いかに競輪が娯楽として、ビジネスとして注目されていたかを物語っているのです。

 

そして、初の1億円プレイヤーになった競輪選手がどのような人物なのか、詳しく紹介して行きたいと思います。

 

1億円プレイヤーになった中野浩一

 

中野氏が1億円プレイヤーになったのは1980年でした。
賞金総額は1億1141万円で、日本のプロスポーツ史上で初の1億円越えとなったのです。
1980年代のプロ野球選手の年俸が1000万前後だったことを考えると、賞金1億円がいかにすごい数字かが分かるでしょう。

 

競輪業界が盛り上がっていたこともありますが、それ以上に中野氏の実力が高かったことが1億円プレイヤーへ繋がりました。
翌年の1981年も1億円超えの賞金を獲得し、1983年にも億越えを達成しています。
華々しい成績を残した中野氏は競輪界のスターだったのです。

 

世界1位への軌跡

 

賞金王になったイメージ

 

史上初の1億円プレイヤーになった中野氏は、デビュー時から圧倒的な実力を誇っていました。
まず、20歳のデビュー戦から18連勝する記録を残したのです。
デビューしたばかりのルーキーが18連勝する様は、競輪界にスターが舞い降りたことを予感させたことでしょう。

 

 

 

その予感は翌年に現実のものへと変わります。
南米ベネズエラの山岳地帯で行われるサン・クリストバルで行われた大会で、見事に1位を獲得したのです。

 

世界1位になった中野氏はニュースでも大きく取り上げられました。

 

それだけでなく、この世界1位の記録は10連覇という偉業に繋がるのです。
10年間、世界で1位をキープし続ける圧倒的な強さは文字通り輝かしい経歴でしょう。

 

輝かしい経歴の数々

 

輝かしい栄光

 

中野氏の輝かしい経歴は、世界選手権での10連覇だけに留まりません。
デビュー戦からの18連勝もすごい経歴ですが、それ以上の成績が数多く残されているのです。

 

注目したいのは年間賞金王に6回も輝いている点でしょう。
誰よりも多く賞金を稼いだ年が6回、しかもその内5回は連続なのです。
他を寄せ付けない実力には賞賛しかありません。

 

引退する37歳まで自転車をこぎ続けましたが、そのおよそ半数のレースで1着を取る驚異的な成績を残しています。
勝率5割という状態がいかにすごいか、ギャンブルをやる人ならすぐに分かるのではないでしょうか。

 

日本史上初の1億円プレイヤーは今も伝説として語り継がれる存在なのです。
競輪の歴史を華々しく飾る中野氏は、日本の戦後復興に大きく貢献した偉人だと言って良いでしょう。

 

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