公営ギャンブルとしての競輪の黄金期は一体どのようなものなのでしょうか?

ギャンブルの頂点に立った競輪

長い競輪の歴史の中には輝かしい黄金期が存在しています。
文字通りの黄金期になった競輪は、世間からの人気や憧れをこれ以上無いぐらい集めていました。

 

そうした人気も相まって急速な成長を遂げて来た競輪業界は、まさに時代を象徴する風雲児だったと言えます。
競輪の黄金期に入るきっかけやどのような成長を遂げたのか、詳しい流れを見て行きましょう。

 

歴史が紐解かれれば、競輪の魅力がより深まって行くのです。

 

⇒競輪が誕生した経緯についてはこちら

 

競輪は瞬く間に大人気

 

1948年に始まった競輪は瞬く間に大人気となります。
日本初の競輪場である小倉競輪場では、初回から予想を上回る収益が出て盛り上がりました

 

当時は大規模なスポーツ娯楽が少なく、敗戦の空気もあって大衆はエンターテインメントに飢えていたのです。
そこに満を持して登場した競輪が大人気になるのは自然な流れだと言って良いでしょう。
翌年の1949年には競馬を超える人気となり、娯楽としてもギャンブルとしても高い評価を得るようになりました。

 

スポーツ新聞やテレビのニュースも頻繁に報道され、戦後復興の重要なカギだと認識されたのです。
観戦するだけでなく競輪選手を目指す人が増えたのも人気を後押ししました。

 

競輪の控除率がポイント

 

競輪人気は控除率?

競輪人気が爆発したきっかけの1つに控除率が関係しています。
当時の競馬では控除率が34.5%と非常に高く、ギャンブルの観点から見るとお得さが少し薄い状態でした。
それに対して、競輪の控除率は25%と低く抑えられていたため、ギャンブル好きが競輪に流れ込んで来たのです。

 

自転車スポーツを好む層、ギャンブルで儲けたい層、この2つを効率良く取り込めたことこそが競輪人気の爆発に繋がったのでしょう。
血が滾る熱いエンターテインメントとして、一獲千金を夢見るギャンブルとして、競輪は多くの人に愛されました。

 

ちなみに、戦後復興を目的とした収益化が大義名分になっていたのも大きいです。
遊びやギャンブルだけでなく、資金を有効活用する目的があったことで、利用するハードルが下がったのです。
こうした理由から、競輪の控除率を低く抑える判断をしたのは素晴らしかったと言えるでしょう。

 

競輪の黄金期

 

競輪の爆発的な人気を受けて、全国各地に次々と競輪場が誕生しました。
1948年から1953年の5年間に全国63ヵ所に競輪場が作られ、戦後復興を目的に競輪レースが行われたのです。

 

そしてここからは、競輪が世間を飲み込む大きな波となりました。
公営ギャンブルとして世間に認知され、収益もどんどん増やしていく状態になります。

 

人によっていつまでが黄金期かの判断は変わりますが、1953年から1965年頃までは輝かしい時代だったと言って良いでしょう。
暴動や不要論などの話題が出る中、大衆の娯楽として楽しまれていたのは間違いないのです。

 

ページの先頭へ戻る